生死ベクトル
奈津x静雅
<夢の国で流した涙>
春の陽気が気持ち良くなってきた最近、静雅は窓側で本を読む。季節で居場所が変わる彼は猫のようで微笑ましい。何処か出掛けようかとパソコンを広げて調べて、フと顔を上げたら静雅が泣いていた。
ぼろぼろと大粒の涙を零しながら、時折目元を拭って本を読んでいる。あれだけ泣けば文字を追うのもやっとじゃないのか、それでも狂ったように読書を続ける静雅にドキリとした。
彼の読書の目的は他人の理解ではなかったのか。感情移入が出来ないと言ったのは彼自身だ。驚いて止まった思考の中、止めないといけないと思い付いたせいで身体が勝手に動きそうになる。止めて良いのかという自問は、目元を赤くなる程擦っている彼を見たら、考えるまでもなく行動に移してしまった。
「静雅、擦るな」
本を手で制して、眼を擦る手を抑える。彼の読書の邪魔をする事は滅多に無い。驚いた彼は眼を瞬かせた。
「ナツ」
栞を挟んで置くのを確認しながら袖で目元を押さえる。
「邪魔してゴメン。でも、放っておいたら腫らすと思って止めずにはいられなかった」
小さく頷いた彼が甘えるようにパーカーを掴んだ。
珍しく縋る仕草に動揺しつつ、抱き締める。小柄な彼を跨いで抱き締めると、すっぽり腕に収まってしまった。縮こまっているせいか余計に小さく思えて、未だ小さく泣く彼を腕の中に閉じ込める。静雅は俺だけのもの。他人の輪に憧れる彼には申し訳ないけれど、誰も彼を理解しない事で独占欲が満たされる。
落ち着いてきた彼と場所を入れ替えて膝に乗せた。泣き疲れたのか思い返しているのか、ぼんやりとした彼の柔らかな髪を撫でる。膝を立てれば静雅は逆らわずに上体を預けた。
「ナツは何で泣くの」
未だ落ち着かないのか顔を上げないまま呟く。
「静雅の発作の時なら、ビックリして、痛そうだし、運が悪かったら静雅が死んだと思って、かな。考えるよりも前に泣いてるから後付け。もしかしたら生きてる事に安心して泣いてるのかもしれない。静雅は泣く事に理由が欲しい?」
少し間があって静雅は頷いた。
「欲しいなら考えれば良い。でも俺は、原因はあっても理由は無くても良いと思う」
賢い彼はこれだけでも伝わる。
でも、彼が他人の作る輪に入れないように、解っても自分のものにする事は難しい。
「何でヒトが死ぬ事は悲しいの」
どう応えようと悩む。彼にとって、死は生と同じく望むものだ。基本的に彼は強く求めているヒトも居ない。
「静雅が居なくなったら、もう一緒に楽しい時間は過ごせないし、話す事も出来ない。未だ続くと思っていた事がそうじゃないのは嫌だし、寂しい。よくある、未だ未来は残されていたのにっていうのは静雅にはあんまり当てはまらないな。自分で断つんだから。寧ろ残される俺が可哀相」
小さく笑うと彼は少し驚いたのか顔を上げた。
「独り占めしたくて仕方が無い静雅は、他の誰にも取られない代わりに静雅自身が俺から静雅を奪おうとする。その衝動は静雅自身で制御出来る欲望じゃないから、悲劇的だ」
辛そうな顔をさせたくて言ったんじゃない。不安にさせたかったわけでもない。顔に掛かって張り付く髪を退けつつ、赤く擦れてしまった目元を撫でる。唯、彼が不思議に思う事に少しでも答えられるなら。
「全部欲しいのに、全部は俺のものにならない。でも、だからこんなに惹かれるんだろうとも思ってる。もし全部が俺のものになっても好きだ、絶対。悲劇が無くなるだけ」
キスして、と言えば遠慮がちに唇が触れた。
どうやら静雅は泣く事は滅多に無くて、視界が歪んでも泣いている自覚が無かったらしい。止められて驚いた、と告げる彼は無垢に思えた。知っていても持っていないものが多過ぎる。触れる躊躇いが減った静雅は奈津によく触れる。存在を確かめるように輪郭をなぞってみたり、側に居たくて腕を回して抱いてみたり。
「どうして泣いてたんだ?」
問えば迷いで視線が揺れ、戸惑いで一度開いた口が閉じた。抱き締めていた腕が緩んで隠れていた瞳が目の前に現れる。
「小説の中に、ナツを重ねていた登場人物が居たんだ」
「それが、死んだ?」
言い淀んだ彼から話す気が無くなる前に問う。折角、話すと決心したのだから、内側を知りたかった。
静雅は言い当てられた事に少し驚き、頷いた。
「死ぬと思ってなかったんだ」
残っていた動揺がぶり返したのか瞳が潤む。放っておいたら泣くな、と奈津は思った。
「静雅が泣いてるのに、俺、嬉しい」
きょとんと首を傾げる彼は可愛い。赤く腫れた目元に潤んだ瞳が色っぽい。それ以上に心を痛めて必死な静雅が愛おしくて興奮する。
「だって、俺が死ぬって泣いちゃったんだろ?静雅がそう思ったのは俺が初めてで、俺だけ。静雅は俺を欲してるって実感出来て、凄い嬉しい。満たされてる気持ちって言えば伝わる?」
ちょっと早口になったせいで静雅は口を噤んでしまった。自嘲して、脅かさないように髪を梳く。
「ナツは僕がナツを好きだというのを信じてない」
「確信は持ててない。静雅のプラスの感情はあまり表に出ないから」
「僕にとってナツは特別なのに」
拗ねたのかコツンと額を当てると体重を掛けてくる。彼は不服かもしれないけれど、俺はにやけるのを辞めれられない。緩んだ顔を見られないように、奈津は肩に乗った頭を撫でてそのままにさせた。