生死ベクトル
奈津x静雅
<影を盗まれた>
珍しく勝手に奥まで入ってこない、と思ったら呼ばれた。読んでいた本を閉じて玄関に向かう。段ボールを抱えたナツが情けない顔をして、濡れた箱を開けた。
「寒そうで、拾っちゃった」
寒そうに震えた黒い塊がチラリと覗く。
「俺が面倒見るから、飼い主見付かる迄此処に置かせて」
濡れた鞄や肩に、取り敢えず温まってこいとしか言えなかった。
ナツはペット禁止、僕は特に無し。雨に晒された捨て猫をナツが見捨てられる筈も無く、それを僕が断る筈も無く、拾われた猫は飼い主が見付かる迄の間、僕の元で過ごす事になった。色々調べて、翌日動物病院に連れて行かれた黒い子猫は特に病気も無く、世話の仕方を聞いた。
「今、飼い主探してるからな」
猫はナツの傍には寄るが、僕の傍には寄らない。どうやら動物にも嫌われているらしい。本を読みながら、猫の世話をするナツを時々見ていたら呼ばれた。ナツ越しに食事中の猫をこっそり見る。
「大丈夫だよ。嫌いじゃないなら、そろそろ触ってみれば?」
嫌われてるから、と逃げれば追われて膝に乗せられた。無視して本に手を伸ばせば、あまり手を出されなくなる。それでもナツに抱えられたままだった。
「静雅は黒猫みたいだよな」
「ナツは猫よりは犬だ」
背後でナツがくすりと笑った。本を閉じて仰け反ると髪にキスが落ちる。抱かれたまま転がって、じゃれ合いながら眠った。
朝食を作って起こそうか迷う。休日だから良いかとも思いつつ様子を見に行く。俺が起きた時には用意した寝床に居たのに、黒猫が静雅に寄り添うように眠っていた。静雅は嫌われてると思って近付かないし、その警戒で猫は近付かない。お互い警戒している猫みたいだ。スピーカを押さえて携帯で写真を撮る。猫の耳が動いたけど、起きなかった。結局、先に起きたのは猫で、似てるけど食欲旺盛な所は似てないな、と餌をあげながら思った。
猫の飼い主が見付かる迄は自分の家には物を取りに帰るだけの生活。お互いに一人暮らしで溜めなければ洗濯もそんなに無くて、最近は一緒にしてしまっている。同居したいな、と思う。バイト終わりに友人から飼い主交渉中とメールが入っていて、少し寂しくなる。昨日撮った写真を送ると名前は、と返ってきた。飼い主が付けるだろうと思って付けてない、と送る。慣れた鍵が開いたままの玄関を抜けて静雅を探す。日の当たる窓側で寝転がって本を読んでいた。
「ただいま。飼い主なんとかなりそうだ」
声を掛けると一度本を置いてこちらを向く。その手元から猫が顔を覗かせて、あれと思った。
「良かった。夕飯の支度はしてあるから」
起き上がろうとした静雅の腹に猫が乗る。途中迄起き上がった静雅は固まって困った、と呟いた。苦笑して猫を抱き上げて横に下ろす。不満気な声を上げたが俺の中ではどうやっても静雅の方が優先順位は高い。立たせて触れるだけのキスをすると、静雅は小さく笑った。
「僕よりも猫を甘やかしたら良いのに」
「躾も必要だろ。嫌なら考えるけど」
キッチンに入ろうとする子猫を留めて手伝おうかと声を掛けると断られる。お気に入りのタオルを上から掛けるとじゃれついて、その間に猫の餌の準備をする。動物病院で貰った試供品は使い切ってしまった。買ったやつが無くなる前に引き取られるなら一緒に渡せれば良い。
さっきの困った静雅の姿が何度も浮かぶ。
「何時の間に仲良くなったの?」
首を傾ぐ彼に猫と、と続けると小さく笑った。最初は嫌いだったかと思ったが、お互い警戒していて近付かなかっただけだ。
「本読んでたら、寄ってきた」
朝も寄っていたな、と思い出す。先に近寄るのは静雅だと思っていたが、子猫の方だった。
「今日は静雅が餌あげなよ。撫でても怒らないよ、きっと」
不安そうな瞳が見上げる。用意した皿を強引に渡して夕食の準備を代わった。
リビングに戻ると猫は毛布にじゃれついていて、机の横に皿を置くと匂いで気付いたのか顔を出して寄ってくる。遅いのは何時ものように、ナツではないからだろうか。少し離れるとチラリとこちらを見ながら皿に近付く。一瞬眼が合って、猫は食事を始めた。ほっと振り返るとナツが良かったね、と笑ったので頷いた。
食事を終えると片付けするから、と猫と対峙させられた。食後の子猫は満足気で邪魔したくはない。
「静雅」
もう洗い物を終わらせたらしい。そんなに時が経ったかと思うと、ナツは猫のタオルを捕って僕の膝に乗せた。途端に猫の視線を感じる。僕が取ったんじゃないのに。タオルを猫の前に落とすと手に擦り寄ってきた。驚いて手を引っ込めると猫が鳴く。ナツがするように下から手を出すと寄ってきたので撫でる。耳の付け根を擽ると寄ってきて、嫌がっていないのだと安心した。
「ね、大丈夫だろ」
頷きながら猫を撫でる。
柔らかくて暖かい。小さいから少し怖い。それを見透かすようにナツが抱っこしろと言う。恐る恐る手を出せば逃げられて、でもまた近寄ってくる。嫌なら逃げれば良いのに、と思いつつ抱き上げると眼が合った。暫くそのまま居たら、猫が鳴いたので下ろす。
「何か喋ってたの?」
ナツが楽しそうな声で笑う。首を傾ぐと猫は手から離れて、眠くなったのかタオルに潜り込んで丸くなった。
「あらら、遊び疲れたかな」
笑うナツに寄りかかるとこっちもか、と笑われる。髪を梳きながら撫でる手が心地良い。
擦り寄る静雅が愛おしくて抱き寄せる。
「猫はどうだった?」
「怖かった」
少し困った表情で言うので迷惑だったか、と問えば彼は首を横に振った。
「小さくて、柔らかいから」
どうやら彼は猫に危害を与えそうで怖かったらしい。彼らしい不安だな、と思う。
「嫌だったら逃げるだろ。俺の事はしょっちゅう蹴るのに、ちょっと妬ける」
少し驚いたらしい彼は俺を見上げて、小さく笑う。そのまま身体を預けられて、他人に近付かない彼が許した様子に独占欲が満たされる。
「嫌なら辞める、気を付ける」
「痛くないから良い。寧ろ無くなったら静雅から構ってくれる事が本当に少なくなっちゃう」
触れるだけのキスをすると擽ったそうに身を捩った。
「ナツは暖かいけど、猫の方が暖かかった」
「静雅は体温低いからな。そろそろ布団入ろうよ」
頷いた彼の手を引いてベッドに入る。やっぱり寒かったのか大人しく腕の中に居て、猫を初めて触ったという彼の言葉を聞く。輪に入れない彼は生物係などになるわけがなく、動物の世話をしたのは今回が初めての事だったらしい。
「ナツと居ると、初めての事が多くて楽しい」
俺が回した腕を邪魔そうにしながら眠そうな声で言う。
「良かった。静雅の初めてが俺ばっかって嬉しい」
今度こそ腕から逃げてそっぽを向いてしまった。後ろから抱き着いておやすみ、と言うと彼は小さく頷いた。
数日後、子猫は用意した餌や皿と共に飼い主に引き取られた。友人を介して、気に入っていたタオルに包んだ子猫を直接渡した。友人と少し話して、静雅の部屋へ行く。寝転んで本を読んでいた彼は俺に気付いても読書を辞めない。横に座って乱れたシャツの裾を直すと視線を感じた。辞めないから集中していたのかと思ったが、そうでもないらしい。
「ちゃんと新しい飼い主に渡してきた。猫飼った事のあるヒトで可愛がってくれそうだったよ。美人に育つって言ってた」
ほっとした様子で彼は本に栞を挟む。
本を傍らに置きながら起き上がり、その勢いのまま静雅はもたれ掛かってきて、小さくおかえりと呟いた。
「ただいま。どうした?」
髪を撫でて顔を上げさせれば視線が彷徨う。シャツの裾を掴んだ手を取って待った。
「寂しかった。ナツが早く帰ってこないかな、と思ってた。此処はナツの家じゃないのに」
苦笑して、静雅は繋いだ手をきゅっと握る。
「最近、ずっと一人じゃなかったから。寂しいとか思うんだ」
抱き締めてくれたら良いのにと思うが、触れられる事にすらびくついていた事を思えばかなりの進歩だ。
「じゃあ、その分俺が居てあげようか」
躊躇いがちに頷いた静雅にキスすると、少し後悔の色が見える。
罪悪感を覚えるべきは俺なのに。きっと、離してあげられない。小さな隙を見付けては、キスして甘やかして依存して欲しいと願ってる。
「今度はこっちのにゃんこを甘やかさないと」
「何時でも甘やかしてるだろう」
髪を梳きながら撫でると気持ち良さそうに眼を細めた。そこへキスを落とすと困った顔をする。
「ナツは直ぐ調子に乗る」
それでもキスは嫌がらないので抱き寄せた。
「そうじゃなきゃ触れられない」
軽く耳を噛んで言って、静雅からのキスを強請った。