生死ベクトル
妖物ver/奈津x静雅
契約
俺は彼に名を与えて縛っているが契約はしていない。それなのに俺は自身の名を彼に与えた。悪友に知られたら小言を食らうのだろうが知った事か。最初はそれで満足していたが、彼が不意に消えてしまうのではないかと不安になる。仕鬼にしてしまえば彼を手に入れられる。どうやって縛ってしまおう、どうやって彼を俺だけのものにしよう。
改まって前に座り、読書の邪魔をした事を詫びる。彼は表に出さないが好奇心が強い。観る事知る事が彼の欲の一つなのだろう。向き直った彼は俺の緊張に気付いてか、少し緊張しているようだった。心構えしてくれた方が良い。考えた答えが欲しい。
「俺を縛ると声にして願って」
彼は切り出した俺の言葉に驚いて、嫌と首を横に振る。外では面越しだが、今は異様で妖物と明らかな瞳を直に見る事が出来る。常に淡い悲しみを帯びた瞳に溜息を吐きたくなる。
「静雅が俺を呪ってくれるのなら、名だけでなく総て縛って、俺だけのものにしてあげる」
見詰めたまま言えば、彼は迷った様子を見せた。微かに開いた唇の向こうにちらりと鋭い牙が覗く。
「君の意志で、俺を縛ると願って」
「ナ、ツ」
葛藤しているのか自分の着物を握った指が震えていた。重ねれば一度大きく震えて、ぱたりと止む。
「奈津が消えてしまったら、僕も消える」
眼は口ほどにものを言う、と彼は云う。先迄揺れていた瞳はじっとこちらを観ていた。彼なりの存在の縛り方。その実、俺を拘束する事など出来ない言葉なのに、死すら許さない。
<俺は静雅以外の何も仕鬼にしない>
ビクリと彼は震えて唇を噛んだ。彼の悪い癖だ、痛い事は嫌いなくせに、牙が己を傷付けるのも気にせず噛んでしまう。
「静雅がどうしてもと言うのなら、獣程度の鬼なら飼っても良い。でも、それは俺の為であってはいけない」
解るな、と言えば解りたくないと嘆き混じりの吐息を漏らす。
僕にはナツだけで良い。他の何も要らない。彼は解って、条件を出している。僕は彼の安全や幸せを願って仕鬼をと願う事が、もう出来ない。でも、これで僕はナツのもの。
「可哀そうな静雅、俺みたいな妖奇士に捕まって。もう逃がしてあげられない」
頬を滑る温かい指に瞼を閉じる。意識を持ってから、初めて彼が、彼だけが与えてくれた、温もり。生命から逸脱して、持ち得ないもの。彼は僕に沢山のものをくれた。
[逃げるなんて、有り得ない。僕の全て、幸福はナツだけだ]
未だ自分から触れる事すら恐ろしく、手を伸ばすと彼がそれを引く。抱き締めて、満たして欲しい。
「静雅は俺のもの、俺は静雅のもの」
ただの言葉は空気だけでなく、僕の内にも溶け染み渡っていく。不安と、幸せが合い混ぜになって彼の言葉を隅々に行き渡らせる。彼のように、身体を巡るものなど無い筈なのに。触れた場所から温もりが伝わってくる。冷たい僕の身体がじわりと暖かくなっていく。
抱き寄せて髪に指を通しつつ撫でれば擦り寄ってきた。他者に触れる事がなかったからか、彼は自分から触れる事を恐れている嫌いがある。頭を撫でる時は素直に触れられているから、きっと好きなんだろう。その内慣れて、自分から触れられるようになれば良い。時間はある、もう俺のものになってしまったから。他の誰かに取られる可能性は限りなく少ないが、不安になるのは未だ先。