生死ベクトル

妖物ver/奈津x静雅

対峙

 薄暗い部屋で書を繰っていた。書は面白い、見ていた事を別の視点で書かれているような、疑似体験が楽しい。術や式の本も読むが知識欲が満たされるだけで、暇潰しだ。ナツは逆みたいだけれど。幾つも書を広げて紙に色々綴っている時は楽しそうだ。実際、術式学ばかりで僕が楽しむような書は少なかった。今は僕が一人で居る時間の為に、物語を持ってきてくれる。
鬼の眼は暗くても見えた。ナツは僕がどのように世界を見ているのか気になるみたいだが、僕は他の見方を知らない。比較出来ないので伝える事も出来ない。いっそ、彼にこの視界を渡せてしまったら良いのに。仕事で出ているナツが帰ってきた時に困るだろう暗さに、火を灯そうと書を閉じた。

 妖奇士は各地に居るが、ナツが居るのは一番大きな妖奇士が集まる村だ。妖奇士に依頼する者が寝泊まりしたり、応対する建物が村の入口にあって、次に薬や術を施す建物がある。妖奇士は各々得意不得意があって、対鬼の妖奇士が一番名が知られているが、呪術を施す者も医術を施す者も、知識を与える者も居る。村の中心部は極普通の村と同じで、外れの方にナツの館もある。村は広々としていて、収入が大きいからかどの家も大きい。今日のナツは村の一番奥の育成所で仕事。ナツもそこで術式を学んだらしい。ナツの仕事の殆どは教育で、あまり村の外に出掛けない。村を知っているのは知識としてだけで、自身の眼で見てはいない。僕が家を出る事をナツは嫌っていた。役に立たない仕鬼を見られたくないのだろう。

 灯りを点けて簾を上げて月明かりを取り込むと館の中は明るくなった。ナツにとってはこれでも薄暗いのだろうと思って、居ない事を寂しく思った。溜息を吐き掛けて、ビクリと庭を見た。誰か居る。
「誰だ、何処から入った」
硬い声に動けなくなる。口を開き掛け、再び閉じる。何を言えば良いのか解らなかった。近付いてきた男から逃れるように足が下がる。妖奇士なんだろう、身体が勝手に恐怖する。そういえばナツには恐怖しなかったな、と意識が逸れた間に男は一気に間合いを詰めていた。
「どうやって入り込んだか知らないが鬼だな、お前」
面を付けていない今は、眼と色の悪い肌だけしか外見からは解らない。この暗さで人間に解る筈も無く、やはり妖奇士だと解った。この村では殆どの者が面を付ける。鬼と眼を合わせない為に。瞳には沢山の情報が詰まっている。白い布に赤く常と描かれた面越しに鋭い視線を感じた。
 不意に静止の声が聞こえて、視線を移動させれば面を半分ずらしたナツが盛大に溜息を吐いていた。わざとらしく下駄の音を響かせて庭を横切って男の前へ立つ。ナツ、と呼ぼうとすれば振り返って唇に人差し指を当てた。拘束力など無い筈のそれだけで、僕は何も言えなくなってしまう。
「やあ、ツネ。人の家を訪ねるには遅い時間じゃないか?」
「アレはお前のか、イクノ」
咎めるような声に思わずナツの背を見る。きっと、僕が悪い。僕が面をしていないから、僕が居るから。
「そう。綺麗だから思わず飼っちゃった。ツネに兎角言われる筋合いは無い」
ナツは男の言葉を無視して縁側から上がり込む。そして僕の視界を奪うように手を置かれ、不安で縋り付くと頭を撫でられた。
「いい子。そのまま黙っておいで」
何時も通りの柔らかい声に手から力が抜けた。
 手を離しても瞼を閉じたまま、身を委ねる静雅が愛おしくて髪を梳く。
「で、ツネは何の用で来たんだよ」
「依頼者が来てる。明日面会だって連絡。それから、」
視線が静雅へ行った。
「最近、外の仕事に一人で行かないって噂を聞いたから。やっと仕鬼を飼う気になったんだと思って」
「確かに彼は俺の仕鬼だけど、ツネの仕鬼とは違う。仕事内容を変えるつもりもない。明日面会あるなら、もう休みたいんだけど」
暫く睨み合い、結局ツネは帰っていった。
 気配が遠くなって、静雅が着物をくんと引いた。
「もう良いよ。怖がらせたな」
ゆっくり開いた瞼が何度か瞬く。真っ直ぐ見上げるのが可愛くて、手を引いて奥へ連れ込んだ。読んでいただろう書が床にあって、途中で館に灯りを入れる為に立ったんだなと思うと心が暖かくなる。自分は必要ないし、出来ないのに料理をしようと頑張るのも愛らしい。座らせて、向かいに座る。膝が少し離れたこの距離で向かい合わせに座る時は、ちゃんと話をしたい時だと彼ももう解っていた。
「彼は俺の幼馴染というか、悪友。昔、一緒に学んでいた。悪いヤツではないんだけどな、妖奇士としても強い」
お互いの得意不得意が被らず、大きな事をしようとするとお互いを必要とした。俺は術式が得意だが、彼は不得意で仕鬼を操る方が得意だ。今では術式を教えたり、それで呪いの実行や解除を仕事にしている俺に対し、彼は鬼を狩る仕事をしている。元々術式に興味があってこの村に入った俺に対して、彼は鬼を憎んでいる。まあ、そうあるべきなんだろう。
「多少意地悪な事を言うかもしれないけど、理由無く他人の仕鬼に手を出す程道理が無いヤツじゃないから」
少し過激なところもあるが、常識的なヤツだ。だから、常識から外れた静雅に対してどう出るか。既に酷く警戒している様だった。
「もし来たら此処に上げて茶でも出して、奥に引っ込んで」
奥の部屋は結界が張ってあり、出入りは自由だが中の様子を外から知る事は出来ない。良いのかと問う静雅の手を撫でる。
「別に饗すような相手じゃない。それより静雅を独り占めしたい。駄目?」
ふるりと首を横に振って、静雅は顔を上げた。撫でていた手が逆に縋るように掴まれて、思わず笑みが浮かぶ。掴まれた手を引けば、大人しく正座を崩して身体を預けてくる。顎を撫でて上を向かせた。
[ナツだけが良い]
可哀相な静雅、群れに憧れているのに俺に捕まって。誘うように瞼を閉じた静雅の額に唇を押し付ける。顔を上げれば少し寂しそうな瞳で見詰められて苦笑した。静雅は牙で傷付ける事を恐れているのに接吻が好き。首に腕が回って顔が近付く。そうやってもっと求める事を覚えてくれれば良い。軽く口付けて、離れると追い掛けられて接吻した。