ShortStory
青年x青年
x+1 [day]
アイツはどうも、俺はいつでも暇だと思っているらしい。
大きな歩道橋の上から見る、マンションの隙間から向こうの工場にフォーカス。マンションと歩道橋、曇った空の濁った白。僅かな鈍い銀色の塊。太い銀の蛇腹の筒がうねって、中身を感じさせない灰色の建物に絡まっていた。
不格好な掃除機。
思い付いた瞬間、彼は視線を逸らした。
歩道橋の先に、白い橋が天気の悪い空に滲んでいた。海が近いのだろう、と思う。どれほどの距離か解らない。地図も見ずに、知らない土地に足を降ろした。
ファインダーから離れようとしない友人に、彼は溜息を吐いた。聞こえるように大袈裟にたっぷりとしたつもりだったが、気付かない。予想通りでもあった。
そんな様子に再び、しかし、今度は小さく溜息を吐くと、歩道橋の手摺に背を預け、後頭部を金網に当てる。
緩やかに弧を描き、傍らの道路に沿った歩道橋は途中に階段があった。
ついさっき、いや、既に数本見送ったから、数十分前に登ってきた。
足下には幾本もの線路が走っている。そのうちの幾つかを走る列車は、真下の駅に停車する。
列車の来ない線路は動きの無い風景だった。
飽々して左へ顔を動かす。
ビルでも建てているのか、生き物のようなクレーンが幾つも灰色のネットに包まれた何かの上から伸びていた。
小さければただの乗り物なんだが。
暫く眺めると、彼は再び溜息を吐いた。
隙間の工場に飽きたら、次はこっちだな。
重い瞬きをして、半生物なクレーンを観る。彼にはよく喩えられるキリンには見えなかった。太く中程で大きく折れて首を下ろすクレーンは、架空の巨大な肉食動物に思えた。
そんな想像をしている自分に気付くと、舌打ちして煙草を出す。だが、ライターを出す前に仕舞い、携帯端末を出した。
毒されてる。
高校の時は一言も喋らなかった。
同じクラスになっても、受験生になった俺等は一度も喋る機会は無かった。クラスにやたら本を読むヤツが居る、それだけ。
だから、アイツがどの大学に進むかも知らなかった。タダ飯の為に行った、写真サークルの新歓飲み。そこにアイツが居た。
アイツは冷やかしの俺とは違い、カメラを弄りたかった。結局、アイツよりカメラに拘りという名の好みがあるヤツは卒業生に数人居るだけだった。それでも、サークルは辞めなかった。展示だって、やる気が無いくせに。
俺がそのサークルを続けたのは、卒業生の女が良かったから。いいトモダチだ。
それだけの筈が、気付いたらアイツと友人になり、なにかと呼び出されて、付き合わされる。
一方的に相手が得をする関係は苦手だ。だが、コイツにだけは何故か許している。
利益のある関係でなければ、信用できない。
駅間に商店街があった。線路と直角に伸び、幾つもの線路に分断された商店街。大きな警告文の横断幕。
延々と強弱も無く、線路沿いに広がる街は新鮮でもあり、気持ちが悪かった。
だらだらとした風景は嫌いだ。
流れる言葉になんの感情も持たず、彼は携帯端末に視線を落としていた。文字を読み込んでも、脳をすり抜ける。一つの引っ掛かりも無く、強いて挙げれば、予想通りという言葉が浮かんでくる。
どいつもこいつも、暇過ぎる。
彼には友人が多かった。コミュニケーションツールの中には沢山の名前が並び、常に誰かがコミュニケーションに飢え、情報を発している。
トモダチと呼ぶ、その全員を、彼はしっかりと記憶していた。名前や顔は勿論、嗜好や趣味、性癖、諸々の情報が合わさり、ファイリング、タグ付けされ、脳の中に収まっている。
髪を乱した風に顔を上げると、友人が消えていた。
漏らしたくなる溜息を堪え、胸に止める。焦りを見せないよう、ゆっくりと視線を巡らせた。
クレーンを撮る位置には居ない。
既に撮影したのか、それとも予想が外れたのか考えようとして、辞めた。
彼に限って、予測は無駄だった。
歩道橋の手摺から腰を上げ、金網から頭を軽く跳ねさせる。
携帯端末の電源を落としながら手の中で回し、ポケットへ収めた。
ゆっくりと動くクレーンへ一瞥をくれ、視線を一度左右に振ると、クレーンとは逆に足を出す。
二度と使わないだろう駅を一瞬だけ視界に入れる。斜め上から見る無人の駅に、僅かに脳が揺れた。
年に二回の展示会は卒業生も参加する。
サークルの一員として写真に纏わる活動を求められるのはその二回、夏と初秋だけ。片方は学祭だ。大半は携帯端末で撮影したものだったり、ファッションとしてカメラを持ったりしただけで、なんの想いもない、偶然の一枚を飾る。
会場も小さく、宣伝も学祭の時だけで、特にしない。小さな作品が多いから、壁を埋めるにも、事前申請のデータから、数枚大きく飾れるレベルのものを引き伸ばさせる。結局、友人を呼んだり、卒業生が顔を見せたりと、極めて内輪な展示会だ。
酷く、閉鎖的。
最近の携帯端末は優秀だ。つまらない写真も、ちょっとした編集ツールで見栄え良くできる。
余計に写り込んだ物をぼかして誤魔化した、日常のヒトコマ。
食事、空、緑、友情。
日頃の携帯端末の中に溢れている程度の写真ばかり。面白味が一つも無くて、写真から名前を当てるゲームをしながら、打ち上げ飲みまでの時間を潰す。
一瞬だけ、自分の写真の前で足を止めた。
駅へ向かう学生に道が埋もれた、講義終了直後、渡り廊下から校門にフォーカスして人間を風景にした、掌サイズの一枚。
何気無く撮ったつもりが、酷く自己を抉った。
意外な作品だ、と評される度に、彼は脳内でトモダチを嗤った。
一周が終わる最後の壁はA4サイズの四枚。額で誤魔化している作品が多い中、無造作にスチロールボードに貼り、吊るされている。
どれも、ちがう季節だ、と無意識に思った。
特に季節感を訴える要素は無い。
彼は直ぐに名前を思い付かなかった。
昼間で無人、遊具も花壇も無い、小学校の校庭。
車内から撮ったのか、横に大きくブレた、線路と宅地の隙間に捩じ込んでくる緑。
夜、宅地から見た、異世界のような高層ビル群。
横に線、おそらく電線が走った、方向感覚の無い、空。
眺めるまま、下部のキャプションに眼が流れ、予測する間も無く名前を見た。
一年、に続く名前は見覚えがある。だが、彼の中ではこの場所で求められるファイルの中に存在しなかった。
そういえば、新歓に居たっけ。
途中で飲みから居なくなった彼の、高校フォルダの中のデータをリファイルする。
忘れていた事を意外に思いながら、再び写真を見ようとして、彼はビクリと背を震わせた。
呼ばれた自分の名前に、半身振り返る。
「君の写真、良かった」
彼が自分の名前を覚えていることが、顔と一致させられる事が、酷く意外だった。衝撃的ですらあった。一度もまともな言葉を交わした事がない。
自分の作品の前に立っている人間に声を掛けられる事もまた、意外だった。繊細そうだ、という評価も改める。
「そう」
いつもなら、するりと出る適当な言葉が湧いてこなかった。
「意外だったけど」
「ああ、よく言われる。お前があんなの撮るなんてなってさ」
聞き飽きた意見に安堵する。用意していた言葉が自動的に吐き出された。
途端、彼は怪訝な顔をして、僅かに首を傾ぐ。
作り物めいた動きに思えたが、やけに自然で、脳が痺れた。
「僕は、君があの写真を此処に出したのが意外なだけだ」
緊張に舌が乾く自覚をした。
突然、ナイフでも突き付けられている気分だった。
「そっか」
どうにか応じた言葉に、彼は頷くと、後で、と会場を離れた。
他のヤツみたいに、適当に外で時間を潰すんだろう。
いつも通りの思考が場違いに感じられた。大方、駅前の大型書店だ、と予測して、やっと、ペースを取り戻す。
幸い、トモダチは彼等の作品の周りで騒がしい。何時、何処で撮ったのか、その時なにをしていたのか。
見送った出入口から、視線を戻す。キャプションから、ゆっくりと視線を上げ、最初とは逆に、彼の作品群を観た。
それでも、作品と彼を一致させる事はできなかった。
アイツは大衆向けの居酒屋が苦手だ。
騒がしく、無言の席が許されないような、そんな空間に居づらいのだろう、と勝手に思っている。
お蔭で必然、割高な店になってしまう。しかも、キッチリ自分の分だけ自分で払う。
常日頃ならば、適当に幹事をしたり、楽しい会話の提供をしたりして、相手に多く払わせる。
日中、付き合ってやったのだから、と考えない事もないが、トモダチと彼とを一緒の扱いにはできない。
どうせ、このまま終電を失い、コイツの家で寝る。
決まりきった流れだった。一日、彼に付き合い、帰る足を失って転がり込む。
飲酒した彼の視線は雄弁だ。
カメラを持て。写真を撮れ。
言わない方が俺の為だと解っていて、喋らない。しかし、伝わってしまえば、言っているのも同じだった。
自己と向き合う事を放棄して、撮れない自分を認識する事を避ける。その自覚をしながら、彼はこれから行くだろう、友人の部屋を思い出す。
作者毎に纏められ、平積みされた本が床の半分を埋める、ワンルーム。
学生の一人暮らしでは、大きな本棚を買い入れる事に躊躇うのは共感できた。カラーボックスでは付け焼き刃だ、という事も現状から推測できる。最悪、本の重みに安い家具では耐えられないだろう、とも想像する。
本を避けて場所を作るのは億劫過ぎて、結局、同じベッドで寝てしまう。
セミダブルのパイプベッドはギリギリだ。互いに痩せ型で良かった、と思わざるを得ない。
ただ、突然の呼び出しから、日中の自由な行動、そして酒まで付き合って、同じベッドに入って、なにも無い。
公言しないまでも、彼はバイセクシャルを匂わせ、真剣な付き合いは断り、遊び渡っている事を隠さない。
呼ばれて、用事に付き合い酒を飲み、同じ部屋に入れば、自然とそういう流れになる。
唯一ならない彼に、勃つだろうか、と考えながら、眠りに落ちる。
同時に、彼は人間相手に欲情するのか、答えの出ない事を裏側で思いながら。