ALiCe

本編 ※旧版掲載改稿中

ALiCe (6)

私はアリス。
今、私は……

   ALiCe (6)

何故こんな所に居るのでしょうか。全く、何故私がこんなに暗くて冷たい場所に、それも床に腰を下ろしていなければならないのでしょう。時計兎は何処へ行ったのかしら。

  † + †   † + †   † + †

気付いたらチェシャは屋敷の中には居なかった。一巡り屋敷の中と屋敷の周りを探して、思わず溜息に似たものを吐き出してしまう。チェシャは何時も突然現れては、消える。現われるのには慣れても、居なくなられるのに慣れる事はない。探しても見付からないのは知っている。唯、解っていないだけ。
不意に不吉な予想が泡の様に浮き上がってきて身体を包むが、頭を振って散らす。今回は何時もと違う、きっと。
不安を拭いきるのを諦め、一人で紅茶の入ったカップをぼんやりと眺めていると、違和感を感じた。
「帽子w」
何処からかチェシャが僕を呼んだ。思わず立ち上がって部屋を見渡す。けれど、部屋が暗いせいでチェシャは見当たらなかった。あれはチェシャが入ってきたからだったのだろうか。
「何処に居るんですか?」
「あは、探した?ちょっと散歩行ってた」
「良かった……」
思わず口から零れてしまう。
「何ィ?オレが殺されたとでも思ったァ?」
ふわりと闇から溶け出した様に、にやけた顔を見せる。けれど、珍しく、なかなか歩み寄って来ない。
「チェシャ?…………この臭い……。物語が終わったのですね」
血の臭気で頭がくらくらする。酷い頭痛と眩暈を感じて、壁へとふらりと近付き身体を預けた。そして、王の事を思い出せない事を確認する。
「けれど、何故、チェシャが……?」
チェシャがそんな香りを身に纏うのは一回、あの唯一回の筈。
「やっぱバレるよなァー。今回は何時もと違ったからかね。兎と会って、ンで移った」
そうか、そうだった、今回は何時もと違う事ばかりだった。もう、物語は思い出せても、王は思い出せない。僕は瞼を下ろして、三月兎が戻ってくるであろう事に安堵し、彼女を思い出す。
「彼女は、白兎をとても気に入っていましたね」
赤のよく似合う少女だった。そして、気が強く、それでいて何処か優しく、目標に向かって走り出したら止まらない娘だった。こう考えてみれば新しいアリスに少し似ているかもしれない。でも、彼女の方が大人っぽかった。幾度も開いたティーパーティーを思い出す。彼女はさくとしたクッキーが好きだった。けれど、フルーツの香りがする紅茶を淹れると必ず、クッキーをそれにひたして食べていた。紅茶には砂糖もミルクもクリームも何も入れない。甘い紅茶は紅茶じゃないの、と繰り返し言っていた。ああ、彼女は王になってから、どんな人だったのだろう。もう思い出す事が出来ない。
「もう直ぐ新しい物語が始まるなァ」
その一言で現実へ帰ると、何時の間にかチュシャが眼の前に立っていた。途端に辺りに漂っている血の臭いに咽かえる。
「チェシャ、嫌、です」
ぐらりと視界が揺らいで、身体の力が抜ける。意識が朦朧として、床に崩れ落ちる、がそこをチェシャに抱き止められた。
「チェ、シャ……」
「悪ィ、ちょっとだけ」
そう僕の背に回した腕に少し力を入れる。
「……チェシャ…………」
チェシャは僕なんかよりもずっと、沢山の重いものを背負っている。僕の背には何も無く、手はティーパーティーの準備しかしない。なのに、チェシャは。
そっとチェシャの背に手を回して、チェシャの気が済むまでそうしていた。

  † + †   † + †   † + †

ふと気付いたらシャワーを浴びていた。記憶を呼び起そうとして失敗する。
「――っ。」
突然左腕に痛みを感じて、叩きつける水から引き離す。怪我でもしてたっけ。
シャワー越しに、腕を上げて眼線に据える。何だろう、この痕。赤い、ハート……。指を滑らせると、未だ傷口が閉じていなかったらしく、痛みを訴え血が滲む。
「ったくあの猫、深く……。猫、が……」
ああ、そうだ、ボクが猫に頼んだんだった、何でもすると約束して。何故だっけ、覚えていない。ボクの覚えていられない事は沢山在るから……。
ボクは皆が羨ましい。猫の様に全てを、とは願わないから、せめても、帽子屋程、覚えていられたら。
――チビなのにボケだな。
そう嘲笑う猫の声が蘇る。たしかあの時は帽子屋も居て、喧嘩を始めそうになったボク等の間に……誰かと一緒に割って入ったと思ったんだけど、誰だったかな。まあ、良いや。
さっさと身体洗って、女王陛下を迎えに行こう。余り待たせると、彼女は怖い。それにボク、水嫌いだし。こんなの長く浴びてたら、毛が水を吸って重くなる。
もう、何の疑問も無い。
さあ、女王陛下の即位式だ。
時計の螺子を回そう。物語の始まりの祝福に。

 (6)eND