ShortStory

ML?

金魚を視る

猫を聴く

 電車の乗り換え待ちに、祐介が白い息を吐いた。溜息だか欠伸だか解らないそれは、冷たい風で直ぐに流され消える。
 せめて、大きな駅が近いところくらいはホームに待合室を作ってくれれば、いいと思う。だが、現実は終点と同じように、切符売場と、数基のベンチがある駅舎だけ。がたつく扉から、容赦無い隙間風が鋭く入ってくる。
 お蔭で待合室の椅子は冷えていて、座れたものではなかった。鞄だけ置いて、なるべく風の無い場所に立っている。この数分の待ち時間が、辛い。
 頬を痛そうなくらい赤くして、手袋をした手をコートに突っ込み、背を丸める様は見ているだけで寒い。
 だから、取りに戻ろうって言ったのに。
「バカだな、お前」
「うっせえよ」
 教室に忘れられた、暗い緑色のマフラーを思い出す。この寒さの中、よく忘れられたものだ。
 祐介は少しでも寒さを凌ごうと、コートのフードを被った。あまりにも似合わなくて、思わず笑う。マフラーで覆っているから隠れるかと思ったが、睨まれた。




 昔のまだらは冬でも外に出た。雪に半分埋もれながら歩いていると、若干の保護色になっていて、一瞬気付けない。斑模様の茶縞がひょいひょい動き、積もった雪に跡を残すので、やっと解る。まだら色は落ちた枯れ葉と紛らわしい。
 最近のまだらは外の巡回をせずに、家の中だけをして、ストーブかこたつの傍に居る。電熱線の赤さで、身体を僅かに朱に染める。
 しっかりと手入れをさせられているので、まだらの毛並みは未だに艶を保っている。だが、時折フと、触れている時に衰えを感じさせる。細いというか、肉の張りが無いというか。筋力の衰えが、身体を痩せさせている。
 人間と同じだ。
 幸運にも、まだらは病も怪我も、今まで無かったから、目立たない。ただ、段々と衰える身体と共に、ゆっくり過ごすようになる。一つ、一つ、無理をせずに、時間を掛ける。
 縁側の窓辺を歩くまだらの首元で、銀のタグが揺れる。雪の反射できらきらさせて、未だに自慢気に見えた。
 時折、磨かさせられるので、気に入っているのだろうと思う。
「宝石みたいだね」
 フと、まだらに声を掛ける祐介の声が蘇る。キラキラして、綺麗だろう。そう、まだらに気に入って欲しくて、言葉を並べていた祐介。
 まだらにとって、あのタグはキラキラしていなければならないのかもしれない。




 一両だけの電車では中央の席を選ぶ。人が居なければ扉は開かないが、開けば空気の出入りがある。きつく掛かっているわけではない空調の恩恵を、最大限に受ける為に、なるべく中央に寄る。
 端から端迄乗っていても、再び外に出る決心が付く程、温まれる事はない。
 凍った身体が溶けた頃には終点に着き、雪の積もった道を歩かされる。
 夏には暑さに辟易しながら自転車を走らせるが、積もった雪では進まない。車を使わないのは俺等くらいで、雪掻きはそれに合わせた程度だった。行き急ぐ時はスキーを使っても良いが、帰りは緩やかに登り続ける為に、使わない。
 運良く、村の誰かが車で通り掛かれば、乗せてもらう。もしくは、運よく、帰りの時間を覚えていた家族が気紛れを起こして、車で迎えに来る。
 吹雪けば誰かの車が来るが、巻き上げる程強くは無かった。
 口を開くと冷気が身体に入るので、自然と冬は会話が減った。
 暗くなるのが早く、手前の祐介の家で温まり休んでいると、周囲は真っ暗になってしまう。
 巻数が乱れた漫画の順を直しながら、目当ての巻を探す。祐介に聞いたところで把握しているはずもない。
「秀司、ここ」
 呼ばれて、広げるテキストを覗き込む。英語の並びを見て、文章の構造を教えてやって、判断基準を説明してやる。
 俺が居る時だけだ、という言葉が嘘なのは知っていた。知らないふりを、祐介は信じている。
 祐介は本気で、この村を出て上京したがっている。周囲は無理だと笑うばかりで、応援もなにもしない。兄のように近くの大学に行くか、それとも俺の兄のように就職するかだ、と決めてかかっている。
 そのせいで、無理かと悩んだりして、へばる尻を蹴ってやるくらいの事しか、俺には出来ない。




 ストーブの前に座るまだらを眺めながら、こたつに入っていると電話が鳴った。億劫だと思う俺に、まだらが視線を寄越す。
 なんとなく、祐介からだ、という予感がした。
「もしもし」
『秀司か?』
 携帯電話に掛けなかったのは、比較的俺が固定電話の方なら応対するからだろう。
『なんだよ、あの嫌がらせ。食いきれねえよ』
「ああ、届いたか。この間、世話になったからさ」
『実家からも餅来たし、米だって余ってんのに』
「写真、気に入らなかったか?」
『いや、写真立てに入れたけど。斑の話じゃねえよ』
 いつの間にか、まだらが足元まで来ていた。身軽な動きで台に乗り、耳を揺らす。
『保存処理するだけで休みが吹っ飛んだ』
「でも、食うだろ?」
『ああ、ありがとな』
 にゃあ、とまだらが鳴く。視線で受話器を寄越せ、と言われている気分になって、送話口を近づけてやる。
 再び、まだらが鳴いて、今度は祐介がまだらを呼んだ。
『斑、元気か?』
 まだらが応えて、祐介は良かった、と繰り返す。大方、顔もだらしなく緩んでいるだろう。
「お前が選んだネームタグも、気に入ってるってよ」
『そっか。邪魔そうにしてなければ、良かったけど、嬉しいな』
 邪魔するな、と文句言いたげな、まだらの視線を無視して、少しの会話をする。
 なんだよ、お前は喋れないし、触らせてやれないだろう。
 置いた受話器を蹴って落として、まだらはストーブの前に戻った。
 こたつに戻ろうとして、移動するまだらを目で追う。寝床からマフラーだった物を、引きずるのが見えた。冷たい廊下に、内心舌打ちをして、緑色の塊を拾い上げる。
「どこに、持っていくんだ」
 自分で出来るとばかりに尾を揺らし、トコトコとストーブ前に行く。いつもの横に座るから、緑色のマフラーを丸めて置いてやる。
 定位置に座り、居心地を直すと、まだらは丸くなった。
「寂しいのか、まだら」
 馬鹿言うな、とばかりに尾で床のカーペットを叩く。ああそう、と適当に返して、こたつに入る。
 まだらがベッドにしたから、置いて行かれた暗い緑色のマフラー。村を出る前の、最後の冬だった。
「どうせ置いてくし、斑にやるよ」
 未だに使ってる、と言えば、驚くだろうか。もう、だいぶ、薄っぺらくなってしまったが、まだらは手放さない。言えば、代わりだと、なにか送って寄越しそうだ。
 その時の、悩むまだらを想像して、面白くなる。結局、祐介の思惑どおりにはならず、どっちも使う事になるだろう。
 今頃、写真でも眺めて、にやにやしているだろう祐介が、まだらに振り回されるのも、面白い。
END