零日目

夜明け

昼間は人間のフリをして、夜に正体を現すという人狼。
その人狼が、この村に現れるという噂が広がった。
怪しい自称案内人と次々に現れる村人が宿に集う。

プロローグ一日目


一人目、案内人で三月兎のマーチ。

 不意に現れた男は頭から生えた兎耳を揺らして誰も居ない宿のロビーを見渡した。
「人狼なんて居るワケねえじゃん、皆大げさだなあって誰も居ねえんだけど」
安い宿なのにロビーは広々としていて、一人がけのゆったりとしたソファが十六個、中心を向いて円形に並んでいる。カウンター席もあり、窓には重いカーテンが掛かっている。それでも壁や床は木材が晒されていて安宿の雰囲気が強く、ソファやカーテンとの差が酷い。現れた青年は身に纏っていた細身のスーツを見下ろし、溜息を吐いて、着崩した。荒々しく扉の正面に位置するソファに深く腰を下ろして短い兎耳を引っ張り下ろして長く溜息を吐く。
「あーあ、俺の毛こんなにしやがって」
鮮やかな金髪の青年は赤茶の瞳を翳らせて膝に肘をつき、頬杖をつくと寂しそうな笑みを浮かべる。頬杖のまま頬を揉み俯いたまま幾度か笑顔を作った。暫くして顔を上げるとにへらと笑う。
「コレかな、うん」
頷くとソファに背を預けて目元を覆った。
「アイツ等来ねえと良いんだがな」
前回居なかったからと呟く。深く息を吸って吐き身体を伸ばすと、足と腕を組んで座り直す。短い兎の耳を揺らして、軽い溜息を吐くと宿の入口に眼を向けた。ガランと扉に付いたベルが鳴る。来訪者だ。

二人目、独り者のパジー

 扉を開けて直ぐに、正面に座っていた青年と眼が合い少年は動揺を露わにした。そんな少年にマーチはにへらと笑って空いている席を勧める。彼以外の十五のソファが空いていた。
「俺は案内人、三月兎のマーチ。ハジメマシテ」
マーチを十二時とするなら少年は八時過ぎ、マーチの右側玄関寄りに座り、小さく会釈をした。
「パジー」
少年は奇妙な風体をしていた。右眼が縫い閉じられているのだ。更には大きく開いたシャツの右胸から中央にかけて蔓薔薇の刺青が覗いている。少年は自身の外見をさて置き、マーチの頭上で揺れる兎耳に眼が奪われていた。全体的に色の薄い彼の目線に気付いたマーチはにへらと笑い耳を引っ張った。
「本物ー。俺は引っ張っても良いけど、痛いからダメだぜ」
硝子の鳴る音で耳から目を移すと、何時の間にかマーチと名乗った青年の手元に小さなテーブルが現れていてグラスが二つ置かれていた。
「酒で良いだろ?」
差し出された酒を取りに席を離れる。その背後でガランと扉に付いたベルが鳴った。来訪者だ。

三人目、浮き草のマーズ。

 男は扉を開けて、人が居るのに驚いた。直ぐに目が合った兎耳を有している金髪の青年と、振り返った右瞼を縫い閉じた少年の姿を見て、再び驚いた。扉を開けたまま、動揺を露わにしている。
「俺は案内人、三月兎のマーチ。ハジメマシテ」
にへらと笑って空いている席を勧めると、男はよれたシャツの首元を緩めながら三時過ぎに座った。パジー経由で飴色の酒が入ったグラスを渡される。礼を言わない理由は無いので短く礼を言ったがパジーは殆ど反応を示さなかった。
「ま、色々と疑問はあるだろうが客は未だ来る。面倒なんで纏めてしたい」
マーチは男とパジーに確認するよう目線をやると、二人は躊躇いながらも頷いた。
「ところで、おっさん。名前は」
「マーズという事にしておく。偽名はマズイか?」
一瞬悩んで男は言う。天然パーマなのか乱れているだけなのか判断出来ない焦げ茶の髪が少し揺れた。
「アリですヨ、そんな些細な事で問題は生じない」
にへらと笑ってマーチが応えるとガランと扉に付いたベルが鳴る。来訪者だ。

四人目、遊び人のヤン。

 派手に扉を開けた青年はやや長い茶髪を揺らして入り、正面のマーチと眼が合うと一瞬きょとんとして笑い、扉を閉めるよう投げ出して近付いた。
「何コレ、コスプレ?」
金と茶の瞳が好奇心で一杯だ。気軽に声を掛ける当たりから、軽い印象を受ける。
「俺は案内人、三月兎のマーチ。ハジメマシテ」
伸ばされた手を払いながら、にへらと笑う。
「コレは本物。引っ張ったら痛いし、耳に触れるとか恋人じゃねえんだからヤめろよな」
どうやらマーチの返答が気に入ったようで青年はケラケラ笑った。それを呆然と見ていたのはパジーで突然立ち上がると青年に寄る。マーズは興味を持たず時折グラスを傾けていただけだったが、パジーの行動に眼を向けた。
「ヤン」
パジーが青年のシャツの裾を引く。振り返ると青年は驚いて、そしてパジーを抱き締めて右の瞼にキスを落とした。
「迷子かと思ったらパジーが居るとか、わけわかんねー」
知り合いか、というマーチの視線に気付きヤンをせっつく。
「あァ、オレはヤン。その耳触ってみてーから、恋人になんね?」
にっこり笑ったヤンは女性が居たら割り込む程に惹きつける何かがあった。けれど、マーチはにへらと笑って払うように手を振った。
「悪いが俺は片思い継続中なんだ、遠慮してくれ」
酒の入ったグラスを渡して空席を勧めるとヤンはパジーの右隣に座った。同時にガランと扉に付いたベルが鳴る。来訪者だ。

五人目、チェシャ猫のチェシャ。

 軽快に扉を開いた青年は、正面に座ったマーチを見て一瞬動きを止め、にたりと気味の悪い笑みを浮かべた。既に居る客の三人からの視線を気にせず頭上の猫耳とふさふさの尾を大きく揺らしてマーチへ近付き、背を丸めてマーチと視線の高さを同じくする。毛が赤紫なのでとても派手だ。しかしだぼついた服と背筋の悪さが彼の印象を柔らかくしていた。
「俺は案内人、三月兎のマーチ。コンバンワ」
にやりと笑って、暫く睨み合った後マーチはガツンと音を立てて頭突きした。ヤンが痛そうと呟き、パジーもマーズも二人を見詰めている。他に娯楽があるわけでも無いので当たり前だ。ふらりと傾いた背を戻して頭突きをし返す。先よりやや大きい音がして、今度はマーズも顔をしかめた。パジーは相変わらず無表情だ。
「なーんで居ンの、しかも案内人?何の?お前サンが?」
「この村の案内を。しかし繰り返すのは面倒だ、客が揃ったらする」
歌うような青年の言葉に淡々とマーチは返す。
「ところで、俺は名乗ったんだから、貴様もしろ」
「チェシャ、アリスの世界の案内人のチェシャ猫サ」
名乗ったチェシャにマーチは空席を勧めた。チェシャは大きく尾を揺らしてマーチの横のテーブルからグラスを奪うと、扉の一番近く、マーチの正面に座った。 「ところで、眼帯は、マーチ?」
マーチと呼ぶ事が楽しい様だ。にたりと笑む。
「マッドが居ないなら、必要無い」
これで会話は終わりだというように逸らされた視線にチェシャは笑う。
「その髪似合わないネ」
金髪を指すチェシャにマーチは眉を寄せて口の中で悪態を吐き酒を煽った。ガランと扉に付いたベルが鳴る。来訪者だ。

六人目、世捨てのディーイー。

 扉は静かに開けられ、ベルは今迄で一番小さな音だった。入ってきた男は宿屋のロビーを見渡しながら面々を確認しつつ、扉を閉める。音はしなかった。黒髪で真黒な服を着て、茶の瞳がやや目立つ。今迄の客は戸惑ってばかりだったのに、彼は薄い笑みを貼り付けたままだった。
「俺は案内人、三月兎のマーチ。ハジメマシテ」
男は名乗ったマーチを椅子の輪の外から見詰める。そんな男をマーズが見詰めていたが、気付いていないのか気にしていないのか、見向きもしない。
「初めまして、ディーイーと呼んでくれ」
落ち着いた様子のディーイーにマーチはへらりと笑って、酒と空席を勧めた。ディーイーはグラスを受け取って九時過ぎ、マーズから一番遠い席を選ぶ。無言で座り、酒は飲まずに肘掛けに置いた。静かな彼に他の客は少しの間興味を示して不躾に視線を投げたが、反応しないので興味が失せる。
少しの沈黙の後、ヤンが隣のパジーに声を掛け、会話を始めた。ヤンの言葉は長く無駄が多かったが、パジーは合間に短い言葉を発する程度だ。様々な方向に話を振りながらパジーを口説く。他に喋る人もなく、彼等の会話は他の客に筒抜けだったが気にしていない様だ。他の客も彼等を五月蝿いと疎んじる様子は無い。各々時間を時間を潰していると、ガランと扉に付いたベルが鳴った。来訪者だ。

七人目、殺し狂い猫のカット。

 扉の開け閉めに時間は掛からなかった。様子見無しに迷いなく宿屋に入る。入ってきた青年は童顔なのか少年と言うべきか迷う様相だ。そして、二人前に着たチェシャに似た外見をしている。猫耳とふわふわの尾。違うのは、彼の毛はほぼ白の紫と、もう少し濃い紫の横縞模様だ。装飾の無いチェシャに比べて、両耳に三つずつ、尾にも飾り鎖が巻かれ露出の多い服装で、全く雰囲気が異なっていた。無言のまま入口の前に佇む彼を、マーチとチェシャ以外の客はチェシャと見比べている。陽気そうなチェシャに比べて、酷い隈のせいか陰気に見えた。
「俺は案内人、三月兎のマーチ。ハジメマシテ」
パジーとマーズはチェシャと彼が関係無いらしい事を知る。
「カット。カット・チェーシャー」
無表情のままのカットにマーチはにへらと笑って酒と空席を勧めた。カットは酒を断り、マーチの左隣一つ開け、マーズの右三つ目に座った。椅子にブーツの底が触れないように膝を抱えて背を丸める。異様な風体の者が揃う中、カットの雰囲気は誰とも異なって目立った。
 誰かと視線が合うとにへらと笑うマーチが壁に掛かった時計を見ると、針は十二時を指そうとしていた。手にしていたグラスを置いて、思い思いに過ごしている客を見渡す。会話をしているのは相変わらずヤンとパジーだけだ。客はマーチの右から順に、ディーイー、パジー、ヤン、チェシャ、マーズ、カットの六人。空席は十で半分も埋まっていない。マーチが立ち上がると六人の眼が集中する。
「今日は始まらない。説明は必要になったらする。今晩は村の中なら好きに過ごしてくれ。必要な物があったら宿の一階で探せば大抵の物は見付かるだろう」
それだけ言うとマーチは奥の階段へと足を向ける。
「何処へ行く?」
マーズがその背に言葉を投げた。
「二階の部屋へ。俺は一番奥の部屋で寝るから用があれば呼んでくれ」
呼べと言いつつ、もう何も語るつもりは無いらしく酒瓶片手にマーチは階段に消えていく。
 暫くすると、無言のままにチェシャが宿屋を出た。マーズがカウンターから酒瓶を探し出し二階へ消えていく 。ヤンとパジーが二人で宿を出ていき、カットはワインを見付けると持てるだけ持って二階へ消えた。ディーイーは暫く動かなかったが、カウンターの向こうへ消えた。

零日目:プロローグ一日目:終了

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