ALiCe

本編 ※旧版掲載改稿中

ALiCe (4)

私はアリス。
今、私は……

   ALiCe (4)

丁度、眼を覚ました所なのです。全く、あのネコには懲り懲りな眼にばかり合わされている気がします。
「……あれ?」
起き上がろうとして、身体が動かない事に気が付きました。どうやら縛られている様です。女王に捕まってしまったのでしょうか。真暗で何も解りません。
「誰か居ないの?」
私の声は不思議と響きました。少し、狭い所なのかもしれません。
「あれ、起きましたか?」
この声は確か、
「帽子屋さん?」
何で帽子屋さんが此処に居るのでしょうか。もしかして、帽子屋さんも捕まってしまったとか。
「済みません、もう暫くそうしていて下さい」
って事は、帽子屋さんは女王側?
「チェシャが貴女を匿ってくれと言うので、仕方無く、です」
あのネコっ!
「何のつもりなの」
わざわざ拘束までしてくれちゃって。
「……僕にも解りませんよ、チェシャの考えている事などね」
そう応えて口を閉ざしてしまった帽子屋さんの声は、何処か寂しそうでした。

  † + †   † + †   † + †

結局、窓の鍵を締めておけない自分が嫌いだ。
部屋に戻ってからずっとベッドの隅に蹲って、あのアリスの言葉を繰り返し思い出していた。
ボクの、意志。
そんなものは無い、道は定まっているのだから。
でも、そう言い切れない自分も居る。
本当に、ボク等に意志が無い訳じゃない。唯、道に逆らう力を持っていないだけ。その力はアリスが……。
もう良い、考えるのは止そう。何度もそう考えて思考が渦を巻いているのは解っていたけれど、どうにか止めたかった。
ボクの王は、ハートの女王サマ。
そう自分に言い聞かせて眼を閉じる。どれ程これを繰り返してきたのだろう。
ボクの手でこの世界の住人を処刑する時、気紛れ猫が惑わしてきた時、そして、新しいアリスが現れたと聞いてからずっと、アリスに問い掛けられてから更に強く。
ボクは……時計兎だ。王に仕える白兎。
「ボクの王は……」
「あのアリスさ」
びくりと身体が震えて反射的に立ち上がろうとする。
「慣れたって良いのになァ、オレが突然現れるのv」
けれど身体は動かず、後ろから猫に捕まえられていた。
「煩い」
「お前はどうしたい?」
……何で、その言葉を猫から聞かなきゃならないんだ。
「ボクは……」
どうしたいんだろう。ボクの意志?ずっと求めていなくて、そんなもの忘れてしまった。
「なァ、兎、お前はどうしたいんだ?」
ボクの、したい事。
猫が耳を掴んでいるのに抵抗する気すら起きず、ぐるぐると眼が回った。
ボクのしたい事は、何だろう。
「なァ、兎、本当にお前はあの王で満足してんのか?」
猫の言葉は誘惑に満ちている。それを忘れた訳ではなかったけれど。
「なァ、兎、退屈なのはもう止めようぜ」
ボクは詰まらないのが嫌い。猫よりもずっと嫌い。
「なァ、兎、愛の無いハートの女王サマなんて、お前に必要なのかァ?」
愛なんて言葉をボクに聞かせるな。
「お前に必要なのは何だ?」
そんなもの、何も無い。
「変化が欲しくないのか。なァ、兎、詰まらないのは嫌いだろう?」
後ろに居る猫はきっと、何時もの笑みを浮かべてる。ああ、肩に刺さる顎が痛い。
「なァ、兎、お前の望みは何だ?」
もう、耐えられない。
「離せ。ボクに寄るな」
ボクを迷わせないでくれ。
「良いよwでも、オレの言った事は忘れるな」
突き放そうと無理矢理力を篭めた手をあっさりと避けられて、ボクは戸惑う。全て、猫の思い通り。
猫はアリスの指針。王の次にこの世界で力を持った者。
「オレの言葉とアリスを忘れるな」
そして猫は一度もボクに顔を見せないまま闇に溶けた。

  † + †   † + †   † + †

真暗闇の中、何かが動く気配がしました。
「何処へ行くの?」
「チェシャの所です」
帽子屋さんは短い返答だけと、一筋の光を一瞬だけ残して光の中へ消えました。
闇の中に、私一人。私、一人だけ。

  † + †   † + †   † + †

アリスを地下の隠し部屋に置いて、屋敷の玄関の戸を潜る。
彼女を拘束している事への罪悪感は勿論在る。けれど、未だ一つとして決められない自分の方が恨めしい。
「アリスは?」
後ろの上の方から声が聞こえて振り返る。
「思ったよりも大人しくしています。」
玄関の屋根の上にチェシャはしゃがんでいた。
「詰まんねェの」
そう言いながらもにやりと笑んで、宙で一回転し玄関の前にすとん、と下りる。
「帽子、オレも匿って。流石に迷いの森ン中でもヤバいw」
がちゃりと勝手に屋敷へと入ってしまう。
「未ァだアリスに会う訳にはいかねェからなァ。何処かふかふかベッドの在る部屋貸して」
屋敷の中からそう唄う声を聞きながら、周囲に他の誰か居ないか気を配りながらチェシャの後を追う。
「僕の部屋を使って良いですよ。他の部屋は今、掃除していませんし、僕はアリスの所へ戻ります」
玄関の鍵を下ろして、眼すら合わせず地下室へと続く階段へと足を向ける。
「帽子」
直ぐに部屋に行ってしまうのだろうと思っていたけれど、チェシャはそうしなかった。幾らあの森を庭とし、唯一道ならぬ道を行けるチェシャでも、あの森の中を逃げ回って来るのは疲れただろうから。
「オレに聞きたい事が在るんじゃないかァ?」
僕は進む事も振り返る事も出来なかった。チェシャは時々残酷だ。
「帽子は、あのアリスをどう思ってンの?」
ほら、無防備な心をぐさりと突き刺す。子供の様に残酷な精神。
「なァ、帽子?」
この微妙な僕等の間すら、心をしくしくと痛ませる。
「僕は……。」
チェシャは人を観察し、その心を思い通りにその手の平で転がせる。
「早く決めないと苦しくなるぞ」
悪戯に心を切り刻んだ後にそうやってころりと優しい面を見せるから、チェシャは酷い。
そうして立ち尽くしたまま何も言えない僕を残して、チェシャは去った。
何時もチェシャは僕よりもずっと先に決断してしまって、見えなくなる程先へ進んでいく。何時だって優柔不断な僕を置いていき、時折手を伸ばしてくれる。それでも僕はその手を取るのかすら、迷い躊躇ってしまう。
「……もう、遅いですよ」


一夜を明かした。鳥の噂に因ると、トランプ兵は大分近く迄迫ってきているらしい。あの迷いの森を抜けるのは、正規の道を使っても未だ暫くは掛かるだろう。教えてくれた鳥達に礼を言い、出来たら本当に近く迄来ていたら教えて欲しいと頼んだ。
それからアリスの所へサンドウィッチとティーセットを持って行き、チェシャの所へ向かった。


軽くノックをして、名前を呼ぶ。起きていても寝ていても返事をしないのは知っていたから待たずに扉をそっと押す。
「チェシャ」
チェシャは未だベッドの中で丸くなって眠っていた。只こうして居れば、無垢で可愛らしく見えるのに。でもそう言ったらチェシャは、僕の思考は老けていると言うだろう。
手を伸ばして緩やかなウェーブの掛かった髪に触れる。ふわりと軽く柔らかくて、何処か暖かだった。
「ン……」
チェシャが身動ぎをしてこちらを向く。僕は慌てて手を引いたが、チェシャに起きる気配は無い。ほっと息を吐き、椅子を引っ張りベッドの横に寄せ、腰を下ろしてチェシャを眺め続けた。
部屋の奥迄差し込んでいた日が、窓の傍に行ってもチェシャは起きなかった。チェシャが起きるのを待つのは一度諦めて、アリスの所へ昼食を持っていく事にした。


「帽子屋さんは料理、上手いのね。」
サンドウィッチしか出していないのに、アリスはそのサンドウィッチを食みながら笑顔で言う。
「特に、紅茶が美味しいわ」
「それは、勿論です。ティーパーティーに欠かせませんからね」
「私は未だ、此処に居なきゃいけないのね」
その言葉だけを聞くならば諦めた様ではあったけれど、声は強い意志に溢れていた。
「私は貴方達が何をしたいのか、どうしたいのかは解らない。けれど私は逃げないわ。絶対に、また、あの馬鹿な女王に会うんだから。それから兎に会って、どうにかこの世界を出てやるわ」
僕には眩し過ぎて、そうですかとだけ応えて、逃げるように部屋を後にした。

  † + †   † + †   † + †

ボクはどうすれば良いんだ。
いや、解っているけれどボクはそれを認めたくない。
ハートの女王サマはもう少しで、寿命を迎えられる。そんな事、解り切っていて、解り過ぎて、ボクを苛む。
最初は、あれ程毎日が楽しかったのに。ハートの女王サマがボクを信用する事も、頼る事も、何より依存する事も無かったのに。変わってしまえる女王サマが憎いなんて、可笑しい。あれ程大好きだったのに、今はもう、大嫌いで、仕様が無い。自分の力で道を曲げる事が出来ないボクは、自分の力で道を切り開いていける女王サマが大好きだった。憧れでも何でも良い。
ボクはもう、何も解らない子供のフリをしている訳にはいかない。
アリス不在のこの世界はどんどんと崩れ去ってしまうから。
ハートの女王サマが死んでしまう前に、新しい王を探さないといけないんだ。
でも、ハートの女王サマはそれを望まなかった。ボクにとって絶対的な女王サマは、新しいアリスが来る度、トランプ達を向かわせ殺させた。けれど、トランプ兵達は暫くそれを続けると、ぽつりぽつりと嫌がり始め、結局アリスを殺す事を拒否した。勿論女王サマは激怒したけれど、トランプ達全員を殺してしまうのは、女王サマにも出来なかった。守りが無くなるのを怖れながらも、少しずつ、脅迫する様にトランプ達を削っていった。けれど当然、トランプ達は仲間を殺す事を嫌がった。拒否すれば、次は自分と解っていても拒否した。果てには、仲間を逃がしてしまう者さえ現れた。逃れられる筈など無いのに。女王サマがアリスを殺せと云うので、道が大きく逸れ歪んでいくのは解っていたけれど、きっと、あの時に多きく捻じ曲がってしまったのだと思う。女王サマがボクに処刑の実行を命じ始めた、あの時から。
ボクは時計兎。王の横に在り続ける者。
そして、王の始まりと終わりを告げる者。物語の開幕と閉幕を宣言する白兎。
時計の針はとっくの昔に回り切った。それでも巻き直し、巻き直し、自分を誤魔化してきた。
ボクの手は真赤に染まっている。これ以上染めて、何が変わろう。
猫の笑みと、アリスの言葉が脳を占める。
ボクはハートの女王サマに、たった一言で良い。唯、それだけを言いたい。
ボクはしたい事が有るんじゃない。しなきゃならない事が有るんだ。
時計の針は、もう巻き直せない。

 (4)eND
next